2011年5月27日金曜日

コーネル・ウェスト:マルコムXと黒人の怒り(抜粋:Part 2)



コーネル・ウェストの代表的な著作"Race Matters"(1994)、「マルコムXと黒人の怒り(Malcolm X and Black Rage)の抜粋試訳Part 2です。扱いを間違えれば火傷する。マルコムXの火のように熱い思想を現代にいかそうとするウェストの意気込みが伝わります。(訳:大竹秀子)
英文は、ここに。http://aad.english.ucsb.edu/docs/west.blk.rage.html



マルコムXの暗殺現場、オーデュボン・ボールルーム跡にできた「マルコムX、ベティ・シャバーズ記念教育センター
(The Malcolm X & Dr. Betty Shabazz Memorial and Educational Center)の壁画(Photo: Hideko Otake)

マルコムXへの現代の注目、特に黒人の若者たちが彼を注目するのは、黒人の怒りを率直かつ雄弁に表現白人、ユダヤ人、韓国人、黒人女性、黒人男性、そしてその他の人々をターゲットにした映画のビデオの中で、そして録音テープでのように)だからであり、また、文化産業向けの売り物になる商品という以上に、その怒りを何かへと導こうとする絶望的な試みだからだと考えていいだろう。黒人の若い世代は、黒人の都市住人としての日々の暮らしの中で、前例のない死と破壊、そして病いの力に立ち向かっている。ドラッグと拳銃、絶望と衰退というむき出しの現実は、むき出しの怒りを生むが、これまでの黒人の代弁者の中で、それに近づいたのは、マルコムXの演説だけだ。しかしながら、心の回心の問題、文化の混成、黒人至上主義、権威主義的な組織、セクシュアリティの境界と限界などはすべて、いまも不気味に立ちはだかっている。マルコムXが黒人の怒りを雄弁に語り、黒人の人間性を肯定して過ごした短い生涯の最後に未解決のまま残していった問題だ。


もし我々がマルコムXの最良のものを足掛かりにしようとするならば、彼の「心の回心」という概念を保存して拡張し、黒人コミュニティ、人間性、愛、配慮、心配りが根付き、成長することができる(ベル・フックスの仕事がその最良の例だ)ネットワークと集団を強固にしなければならない。最良の黒人音楽と黒人の宗教を超えて、これらの空間は、倫理的なビジョン、富と権力の繊細な分析、原則をふまえた連携と民主的な同盟という具体的な戦略の権威にかけて、[善悪二元論の立場を取る]マニ教的なイデオロギーと権威主義的なお膳立てを拒否する。これらのビジョンや分析、戦略は黒人の怒りを見失うことはないが、この怒りにそれにふさわしい場所で注目する。それが注目するのは、あらゆる形態の人種差別主義、性差別主義、同性愛嫌悪、あるいは、威厳と慎みをもって生きようとする「エブリデイ・ピープル(ありきたりの人々)」(スライ&ザ・ファミリー・ストーン[注1]とアレステッド・ディベロップメントの印象的な言葉を借りるならば)のチャンスを邪魔立てするあらゆる形態の経済的な不正義だ。たとえば、貧困も、おとしめられたアイデンティティとして怒りの対象になるだろう。

さらに、黒人の暮らしの文化面での混成的な性格から、マルコムXの観点とは疎遠なメタファーが浮き彫りにされる。それは、彼の観点とは疎遠ではあっても彼のパフォーマンスにはぴったりあうメタファー ―すなわち、ジャズのメタファーだ。私がここで「ジャズ」という言葉を使うのは、音楽文化の様式に関する用語としてというよりも、世界内での存在の様式に関する言葉としてであり、「あれか、これか」という視点や独善的な宣言や至上主義的なイデオロギーに疑いをもち、現実に対して変幻自在で流動的で柔軟性に富む即興的な様式を意味するためだ。ジャズの自由の闘士であるということは、批判的な意見交換と幅広い熟考を促進する、責任を取る指導者を備えた組織形態を取るよう、厭世的な人々を奮いたたせ活性化することだ。個性と結束の相互作用は、上から押しつけられる均一で異議をはさめない相互作用とは違う。それどころか、その相互作用は、質問と批判を前提とするダイナミックな合意に達する、多様な集団同士のぶつかり合いである。ジャズ四重奏やバンドにおけるソロ奏者のように、グループとの創造的な緊張関係を維持し高めるために、個性が促進される―この緊張感により、集団的なプロジェクトの目的を達成しようとして、[個人の]より高度なパフォーマンスが引き出される。この種の批判的で民主的な感受性は、「黒人性」「男性性」「女性性」あるいは「白人性」の境界と限界を守ろうとするあらゆる警備に真っ向から反抗する。黒人民衆の怒りは白人至上主義に狙いを定めるべきだが、黒人性には、本来、フレデリック・ダグラスやWEB・デュボイスのようなフェミニストも含まうることも知っておくべきだ、黒人民衆の怒りは、同性愛嫌悪を見逃すべきではないが、異性愛は、本来、「ストレート」な反同性愛嫌悪とも連携可能なことを知っておくべきだ。―それはちょうど、黒人の貧困に対する闘いを、あらゆる人種、ジェンダー、性的指向の進歩的要素が支援できるのと同じだ。

マルコムXは、凶暴な白人人種主義を正面から見据え、目をそらすことなく、このぎらつく偽善に関する真実をアメリカに向け、大胆かつ挑戦的なやり方で語るには十分な時間を生きた初めての本物の黒人スポークスパーソンだった。だが、エライジャ・ムハンマドとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとは違い、彼は自分自身の顕著な思想を築きあげ、黒人の怒りをアメリカ社会を変える建設的な方向に導くのに十分なほど、長い時間を生きることはなかった。もし我々が、マルコムXと同じような意志をもって成長し、今日の黒人の怒りが課す新しいチャレンジに対決するならば、我々は黒人の自由の闘いを新しくより高度なレベルに導くことができるだろう。この国の将来は、それにかかっていると言えるかもしれない。(訳:大竹秀子)

脚注
1)スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「エブリデイ・ピープル」については、以下のブログに詳しい



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