2011年6月22日水曜日

アミリ・バラカ:マラブル著『マルコムX:作り直された人生』に怒りの書評

マニング・マラブル著『マルコムX:作り直された人生』に、アミリ・バラカが怒った!Black Bird Press & Reviewに2011年5月10日付けで載った書評をご紹介。(訳:大竹秀子)原文はこちら:http://blackbirdpressnews.blogspot.com/2011/05/amiri-baraka-on-marables-malcolm-x.html

3月30日、私は車を待っていた。その日マニング・マラブルが私の家まで迎えの車をよこし、私たちはコロンビア大学の彼のオフィスで会うことになっていた。マニングは、口述歴史プロジェクトのために、私をインタビューしたがっていた。

彼とは、コロンビアが私の文書をどう扱うかについて話し合うため、2週間前にも会っていた。その席で、この最後のプロジェクトのスケジュールを決めていたのだ。だが、車はこなかった。私は知り合いで友人でもある運転手に電話し、コロンビアまで出向いたが、マラブルの姿はなかった。アフリカン研究学部では、彼の居場所を誰ひとり知らないようだった。そのうちやっと誰かから、マニングが再び入院したと知らされた。




私は家に戻り、翌日、彼が亡くなったというニュースをインターネットで知った。アポイントメントが実現しなかったというだけでも十分奇妙な気がしたが、マルコムXに関する彼の最後の作品が2日後に出版予定だったという事実は、私たちの生前の関係の最後を、未完のままに頓挫させてしまった。

初めに友人の一人が、この本を1冊、私にくれた。町を離れることがしょっちゅうなので、そんな旅のひとつに持参し、読み始めた。旅から戻った後、この最初の1冊は、妻に譲った。ほかの大勢の人々と同じように、読みたいと妻が強く望んでいたからだ。「もう読み終わった?」と、何度も聞かれた。

私はシカゴ空港でもう一冊買い、真剣に読み始めた。マニングとは、何年も前から知り合いだった。実を言うと、彼と知り合ったのは、彼がまだコロラドで教えていた時だった。私がコロンビア大学で短期間、教えた時には、彼がアフリカ研究学部の学科主任だったから、彼の下で仕事したことさえあった。

私は、彼の著作のひとつ“W. E. B Du Bois Black Radical Democrat”(『W・E・B・デュボイス 黒人の急進的民主党員』)を高く評価してきたし、“How Capitalism Underdeveloped Black America”(『資本主義は、いかにして黒人アメリカの発展を阻止したか』)についても、少なくともそのテーマ、ならびに、アメリカ(黒人アメリカ)史の中で把握すべき重要な局面はどれかについての彼の認識の姿勢を全面的に評価してきた。

だが、皮肉なことに、つい最近、ほんの2週間前に、私は彼のジャーナル『ソウルズ』に掲載されたある論文について彼に手紙を書いたばかりだった。この小論に、マルコムの暗殺に荷担したとして告発されたある人物による、マルコムを卑しめる発言が引用されていたからだ。引用はこの小論に何ら重要な意味を提供していなかったので、こんな引用をすることの「知性」を、私は手紙で問うていた。これは、単に軽い批判ではなかった。この引用がどんな目的でなされたのか、私は本当に知りたかったのだ。(*この男トマス 15X の、「マルコムXの家を全焼させたのは、ネイション・オブ・イスラムの仕業だ」という言葉もマラブルは引用している。)

だが、マラブルの代表作と呼ぶ人もいる『マルコムX:作り直された人生』の出版について私が疑問視するのは、セックス・スキャンダルと目される、読者の興味を引くに違いない、ちょこっとしたおいしい情報をマラブルが取り入れたことについてだけでなかった。もっと根本的に、この作品を生んだ意識が何であったかが問題なのだ。

まず最初に、私は、我々は著者のさまざまな意図だけに標的をしぼることはできないと思う。彼の方法論とともに、それらの意図の全体を形成したマラブルの意識も含めて考察するべきだ。オハイオ州出身のマラブルは、1969年にカレッジの1年生だったが、1971年には卒業していた。1974年以来、スミス、タスキギー、サンフランシスコ大学、コーネル、コルゲイト、パデュー、オハイオ州立、コロラド大学、コロンビアと、学術機関に所属してきた。

マニングは学者だった、信念をもってはいたが、それでも学者だったと言ったからと言って、彼の生涯を中傷するつもりはない。マラブルの生涯には、まぎれもなく政治的な局面があり、私はそのことを理解しているからこそ、彼のことをきちんとした信念をもった学者だったと思っている。「ひたすら純粋に」研究者であるとは、政治・社会的関与を行わないことの言い換えにすぎないことを、彼は理解していた。たとえ自分とは立場が違っているにしろ、何をするにしろ、ひとには自分の政治的な意識から導かれる政治的姿勢というものがあることを、彼は理解していた。

彼がインディアナ州ゲリーの市長、リチャード・ハッチャーと、デトロイト選出の下院議員チャールズ・ディッグスと、そしてアフリカ人民会議の議長だった私が議長を務めた1970年の全米政治総会の「会員」だったことは、彼には意識があったこと、黒人の政治的パワーを求める闘いに向けて、黒人を全国的に組織化する手段として、黒人の政治意識を高め、制度化しようとする試みの同志だったことを意味する。

1974 年にマラブルは、「アメリカ民主社会主義者」に参加し、一時期はこの組織の副議長まで務めた。アメリカ民主社会主義者は、「左派」と呼ばれているが、マルクス主義ではないし、マルクスレーニン主義では、毛頭ない。それは、レーニンの第2インターナショナルから分裂し、言葉では社会主義と呼ばれたが、その実、盲目的な愛国主義者にすぎなかったグループと同じたぐいの組織のひとつである。

マラブルの「観察」は、特定の政治的基盤に審査されるべきであり、その基盤を認識することが重要だ。マラブルは、ただ「観察している」のではないからだ。そこには、判断がある。たとえば、本著を通して、マラブルは、ネイション・オブ・イスラムを一貫して「セクト」と呼んでいるが、これは、意見であり、観察ではない。NOI(ネイション・オブ・イスラム)は、社会に対し、そして間違いなく黒人民衆に対して、DSA(アメリカ民主社会主義者)より大きな影響力をもっていたし、いまももっている。(OUDによると)今では、「おどけた、あるいは、無知な」という言外の意味を暗示するためだけに使われる、宗教的教団の小さな分派だと言いたいのなら、あたらない。

だが、革命的マルクス主義者あるいはマルクスレーニン主義との関係でいえば、DSAこそ、この言葉にぴったりだ。私の論点は、マラブルは、彼が「意図した」とほかの人たちが言っていることによってではなく、彼自身が語っていることによって判断されるべきだということだ。もちろん、本著に関して、何より良いことは、マルコムXを、私たちの会話の話題としておおいに盛り上げてくれたことだ。これはオバマ選挙の時期に大変良いことである。(私は、ポスト・レイシャル[脱人種]主義者なんかじゃない!)

マルコムXの生涯のプロフィール、彼の苦闘の生涯のあらましは、再び、全世界に広まる必要がある。装いを新たにしただけの、「相も変わらぬ」白人至上主義とレイシズムの出現と闘うために、我々の中にあるもっとも激しい「黒人性(“blackness”)」 を再び目覚めさせてほしい。マラブルが言っていること、指摘していることはすべて、結局のところ、彼が「左派」と呼ぶ、(「左派」という言葉は、DSAからトロツキストまで何でも意味してしまう)社会民主主義がいかに優れているか、我々を説得する試みに終わってしまう。マルコムとの論争でバヤード・ラスティン[訳注:公民権運動の理論家]の論法の方が「より優れ」ていたという描写や、マルコムがジェイムズ・ファーマーの家にボディガードをつれて行ったことに対して、ファーマーが「私がキミを殺そうとすると思うのかい?」と言ったという記述は、実はマルコムを殺そうとする人々が大変活発に陰謀を企てていた時期の出来事だったにも関わらず、マルコムを被害妄想狂にみせかねない。

結局のところ、マラブル自身の政治路線のおかげで、概して空疎な内容の多くのこと、その多くをマラブル自身が「噂」と語るものが注入され、マルコムのよく知られている質と地位を「薄めて」しまおうとする試みが徹底され、本著を弱めてしまった。たとえば、マルコム、あるいはベティの浮気の証拠が本当にあるだろうか?

ハーレムでチャールズ・ケニヤッタを知っていた人なら、すぐさま、この男がうぬぼれ屋で嘘つきのおろかものだったことを思い出す。噂の材料の多くは、マラブルの「公式の」情報源、すなわち、FBI、CIA、BOSS、NYPD(ニューヨーク警察)、ならびにマルコムを憎んでいたNOIの連中が出元だ。

マルコムに関するマラブルの、「その夜、シャロン6Xは、彼のホテルで彼と落ち合った可能性がある」というような文は、許し難い。私がFBIに彼らが私について収集した監視資料の公開を求める手紙を書いた時、まず、長官が、そんな文書は存在しないと否定した。アレン・ギンズバーグの弁護士がついに、そのような文書の存在を認めさせ、私は1ページに付き10セント払って手にいれることができた。だが、私が文書を入手した時、妻のアミナがこう言った。彼らが黒塗りで消さなかった情報は、彼らが私たちにわざわざ見せたい情報かもしれない、それをみせて本当は何が起きていたのか、けむにまこうとしているかもしれないじゃないの?と。

今回も、くだんの機関がまさにこれをやったと私は思う。ある情報への「アクセス」を与えられたからと言って、その情報が、警察関係者の言葉を使うなら「料理されて」いないと思うのは、相手にしている連中を考えれば、あまりにも認識が甘い。

マラブルは一度として「革命家」を気取ったことはない。DSAとの連携は、彼が革命組織、すなわち前衛政党、あるいは「プロレタリアートの独裁」というレーニンの処方を拒否したことをはっきりと示している。.実際、DSA は、自分たちは政党ではないとし、第2インターナショナルでレーニンに対決した側とはっきり同盟している。

そのような連中、すなわち社会民主主義者たちは、革命に公然と反対している。要するにマラブルは、革命を起こそうとするマルコムの努力がよって立つ政治的論理の反対者だ。マラブルは、ネイション・オブ・イスラムに対してはより否定的で、、「カルト」、「セクト」という烙印を押した。事実は、NOIは宗教的組織ではあっても、明確な政治的メッセージの持ち主であり、私にいわせれば、このメッセージこそが、イスラムの直接的な魅力を超えて、数千人もの人々を引きつけたのだ。

もしマラブルがエライジャ・ムハンマドの南部5州への呼びかけをより深く理解していたならば、この呼びかけとレーニンの南部黒人地帯(米国におけるアフロアメリカ人の最大の密集地域であるためにこのように呼ばれた)におけるアフロアメリカン国家の形成というコンセプトとの関係についてもきっと言及していたに違いない。

それは、単なるニグロの幻想なんかではなかった。もしマラブルが、マルコムの黒人民族主義の政治的妥当性を本当に理解していたなら、そして公民権運動の革命的側面とより戦闘的な黒人解放運動とのマルコムの不断の接触が、彼の思考を形成し総合的なプレゼンテーションを明確に政治的なものにしていた経緯を理解していたなら!だがこれは、NOIの官僚主義の中核にとってだけでなく、FBIにとってもマイナスだった。

FBIは、マルコムXがネイション・オブ・イスラムの中にいる方が、外に出て彼らにとって地球を彷徨う危険人物になるよりずっと安全だとさえ、書いていた。彼らは、マルコムが「投票か銃弾か」の演説の中でも述べたことの危険を理解していた。白人全員が悪魔ではないかもしれないとマルコムが認めたことは、彼がキング師のコピーに変身したということではなく、オックスフォード大学で彼が語ったように、黒人が自分たちの革命を起こしたならば、白人の中にも参加する人たちがいるだろうという彼の理解を意味した。

クークラックス・クランとの会見は、マルコムのアイディアではなく、確かにエライジャ・ムハンマドのアイディアだったし、それ以前には、マーカス・ガーベイのアイディアだった。マルコムXの黒人民族主義は、より入念な革命民族主義になった。それは毛沢東(あるいは[ギニアの]カブラルや[ガーナの]エンクルマ)が語ったように、諸国の勢力を結集し、まずは民族主義的革命を起こし外国支配を打倒する必要があり、資本主義を破壊する革命がその後に続くのだ。

重要なのは、マラブルがマルコムの子供時代と若い頃のより明確な像を描いたことだ。特に彼の両親が彼に教えたガーベイの影響、そしてそのことがいかにエライジャ・ムハンマドの教えに対して彼の心を開かせたかを示唆したことだ。スパイク・リーの映画でマルコムの若い頃がぼんやりとした回想シーンにとどまっていたのとは、違う。

マラブルは、薬品で伸ばした縮れ毛や40年代のズートスーツを、政治的な「挑戦」とみたが、これらは黒人文化の中に歴然と存在するもちまえの文化的表現でもある。それは白人社会に対する形だけの反応ではない。アフリカのズボンだって、ズートスーツのようにゆったりしているし、まっすぐに伸ばした髪、すなわちコンクは、時代の産物のひとつだ。ストレートなヘアをまねたのは確かだが、ラティーノより前にとっくにやっていた黒人もいた。

黒人の若者文化の「反ブルジョワ」的な態度は、もちまえのものであり、米国における黒人ライフの形態(ゲシュタルト)の表現なのだが、マラブルには、それがよくわかっていないようだ。たとえば、彼はビーボップを「スウィングと一線を画し、音楽的テイストと商業主義の周縁で黒人志向のサウンドを作り上げるヒップスターたち(hepcats:原文のまま)の音楽」と解釈した。

ビーボップは革命的な音楽だ。ティン・パン・アレーの商業主義を追放し、ブルースとインプロビゼーションを再び黒人音楽の原則として提起した。本著の本質的な「断絶」は、マラブルが、「自決、自尊、自己防衛」のための闘いという黒人民族主義の革命的な側面の理解に失敗していることだ。それは、抑圧されたアフロアメリカ人民族が、抑圧国家に対してストリートで表現した、平等な民主主義的権利に向けた闘いなのだ。

本著がおこなっているのは、マルコムをアフロアメリカ人の革命の文脈と特性から切り離し、噂と仮定、推測、問題の多い推量、国家と敵による意図的にねじ曲げられた観測を使ってマルコムを描き直して、マルコムのこれまでの像を破壊し、「彼をより人間的にする」試みだ。

キャプテン・ジョセフ(後にユスフ・シャーと改名した)[訳注:マルコムのボディガードだったが、実はエライジャ・ムハンマドの忠臣であった]は、マルコムと親しかったか?彼はテレビに出演した際、マルコムを「ベネディクト・アーノルド[訳注:米独立戦争の将軍として戦功をあげ独立に貢献しながら、英軍に寝返った]と呼び、[インタビュアーだった]スパイク・リーに向かって私がモスクにやって来て立ち上がり、マルコムに異議を申し立てたところ、マルコムに「その白人の女性を追い払う[訳注:当時、バラカが白人と結婚していたことを踏まえた発言とみられる]までは、おとなしくすわってなさい」といわれたと語った。

私がマルコムに会ったのは、たった一度だけ。暗殺のすぐ前の月だった。ウォルドルフ・アルトリア・ホテルのムハンマド・バブの部屋でだった。バブは、ザンジバルで革命の指導を終えたばかりで、後にタンザニア(ザンジバルとタンガニーカが連合した)の経済大臣になった。その会合でマルコムは、私がNAACPをけなしたのに対して、それよりはNAACPに加わり、黒人には「統一戦線」が必要だという主張を通すようやってみるべきだと語った。

その考えは、マラブル教授が言うような「尊敬を得ようと努める」試みではなかった。マルコムはあらゆる派閥主義は我々が必要とする革命の邪魔だてだと理解するようになっていた。興味深いことに、ストークリー・カーマイケルも黒人統一戦線の構築を提唱しており、マーティン・ルーサー・キングも殺される1週間前にニューアークの我が家を訪問した時に、同様な政治的戦略を提唱していた。

そのような戦線が、オバマを選出させた民族民主連合の主要な要素だった。ユスフ・シャーについて、スパイク・リーは彼の著書How I Made The Movie X(『映画X制作法』)の中で私に関するシャーのとんでもない主張を繰り返した。私は大学時代の友人の一人で私のパートタイムの弁護士になっていたハドソン・リードに頼み、マルコムXの殺害、特に彼自身と組織犯罪の関与に関して、法廷で「無罪を証明する」証拠を要求する尋問が行われるよう、シャーを告訴するよう手はずを行った。

その後まもなく、マサチューセッツに引っ越していたシャーは、睡眠中に死亡した。マラブルは、キャプテン・ジョセフ/ユスフ・シャーの FBI ファイルはからっぽだったと報告している。 マラブルはマルコムの描き方だけでなく、時代と当時の組織についてのポートレートにも異議申し立てをしているが、彼は黒人民族主義の革命的特徴を正しく理解していない。彼はマルコムXとNOIとの分裂を、警察とまったく同じような見方で扱っている。(だが、これはあきらかに誤っている。)「2つの交戦中の黒人ギャング」間の抗争、主流から分派するセクトと見るのだ。


マラブルはマルコムの殺害を、国家ではなくNOIが命じたものとして描いている。マラブルが描くマルコム像は全体として、運命に呪われた混乱した人物であり、そんな彼のことをマラブルは「マルコムは徹底的に歴史書を読んだが、歴史家ではなかった」と評した。あたかも、学問の世界での「歴史家」という称号は、草の根の学者以上に、歴史のより科学的な理解をもつというお墨付きを与えるといわんばかり。なんとも素朴な階級的偏見だ。

NOIについて、急進的な組織ではなかったとすることで、黒人民族主義者の白人レイシスト圧制者国家との対決が、あいまいになってしまう。マラブルは、 SWP(社会労働者党)のトロツキスト、あるいはCP(共産党員) または通信委員会のメンバーであることの方が、急進的だと考えている。これは、マラブルが、スターリンの 『レーニン主義の基礎』『民族主義の問題』の中で指摘されている、レーニンの指令さえ、理解していなかったことを示唆する。それは、帝国主義的な抑圧の条件下での民族運動の革命的な特徴は、必ずしも、運動の中のプロレタリアート的要素の存在、革命家の存在、あるいは、共和党の運動プログラム、運動の民主主義的な基盤の存在を前提としないのだ。

アフガニスタンの首長がアフガニスタンの独立のために遂行している闘いは、首長とその仲間たちの君主制主義者的な見解にも関わらず、それが帝国主義を弱め、崩壊させ、弱体化させるという点で、客観的には革命闘争だ。一方で、上記の「やけくそな」民主主義者と社会主義者、共和主義者が遂行する闘いは、反動的な闘いにすぎない。

レーニンが、抑圧された諸国の民族主義運動は、型どおりの民主主義的見地ではなく、『レーニン主義の基礎』のp77に書かれているように、「帝国主義に対する闘争の全般的なバランスシートに表われる実際の結果を見て評価するべきだ」と述べたのは、正しい。

マラブルは、社会労働者党(SWP)のようなトロツキストあるいは米国共産党(CPUSA)の自称マルキストや、通信連絡委員会(CPUSAからの分派)や、米民主社会党(DSA)の方が、NOIやマルコムXよりもずっと過激だと考えている。字面だけ読めば、たぶんそうかもしれない。だが、ハーレムのストリートの現実の世界では、違う。

マルコムはNOIの出身だ。キング師は、南部キリスト教指導者会議(SCLC)の出身だ。だが、二人とも、ハーレムのストリートでは、あるいは南部での行進では、客観的に見て、社会民主主義のいかなる編隊よりもずっと革命的だった。社会民主主義者はこのことを直視すべきだ。マラブルは、NOIをマルコムの殺害者にしたてるために大半の時間を費やしている。FBI、BOSS、CIA、ニューヨーク警察からの情報は、この見解を後押しする傾向が強いが、その理由は明らかだ。

この流れの中で、マラブルは、マルコムのアフリカ旅行により、「組織の目には、彼の殺害がますます必要なものになった」と語る。「マルコムの活動が、エライジャ・ムハンマドとNOIにとって、あまりにも挑発的になったからだ」、と。だが、帝国主義的米国国家と、その刑事・殺害機関にとっては、どうだろう?彼らの方がより強く挑発され、そのような挑発に終止符を打つのはもっと簡単だったのでは?マラブルやその他の人々が指摘するように、マルコムXのよく知られた殺人者がいまなお自由に徘徊しているのだとしたら、その人物は、なぜいまなお自由の身でいられるのだろう?マラブルとその他の連中が知っているなら、国家機関だって知っているに違いない。

マラブルは、ネイション・オブ・イスラムの仕業だとしつこく繰り返しながら、「ファトゥワ、すなわち、死刑宣告に、エライジャ・ムハンマドが署名したかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。それを知るすべはない」と矛盾したことを口にする。マラブルの主張の多くは、これと似たり寄ったりだ。マラブルは、マルコムがフランスへの入国を拒否された後で口にした、自分がNOIのシカゴ本部だけに重点を置いたのは「重大な失敗」だった、「私の問題はすべて、シカゴが出元だと考えていたが、そうではなかった」という言葉を引用しさえしている。


では、問題はほかにどこからくるのかと聞かれて、マルコムは「ワシントンから」と答えている。マラブルは、また、今日でさえ、FBIはマルコムの暗殺に関する報告書の公開を拒否しているとも語っている。それなのに、彼は疑問もなしにこれらの機関からの情報を引用するのだ。ベティ・シャバスの死について、マラブルは、マルコムの娘クビラの12歳の精神障害者の息子が、ある日、祖母のアパートに火を放った」ときっぱりと語っている。彼は、どうやって知ったのだろう?政府の公式な「情報」発表が、そのような印象を与えたから?この殺人に関しては、多くの疑惑がある。そのいくつかは調査されるべきではないのか?本著の性格描写のいくつかは、はっきり間違っている。運動を書面でしかしらないことが、その原因だ。たとえば、マラブルはストークリー・カーマイケルについて、「平和主義者」のボブ・モーゼスおよびSNCCから分裂し、その結果、ブラックパンサーに加わったと書いている。

だが、カーマイケルはパンサーのメンバーにはならなかった。彼は、ラップ・ブラウンと共に「ドラフト」されたのだ。マラブルは、結局、マルコムはマーティン・ルーサー・キングの黒人への影響を誤解していたと語る。だが、マルコムはその影響を誤解してはいなかった。それに代わるものを与えようと試みたのだ。

最終的に、2人の指導者は共に、アフロアメリカ人が平等の権利と自決を達成するためのもっとも強力な手段は、統一戦線だという結論に達したと、私は思う。私は、マルコムとマーティンが同じ組織にいるのを目にしたかった。それを言うなら、ガーベウとデュボイスも、なのだが。彼らは昼夜を問わず論議をし、最終的にどちらかが、過半数の決定に合意しないかもしれない。それでも、米国議会のように、我々は「私は賛成しない・・だがこのような手続きがとられるよう、投票した!」と言えるだろう。

興味深いのは、この本の裏表紙に、マラブル教授と同じ、社会民主的な思想を代表する3人の学者の推薦文が載っていることだ。ゲイツは、アフリカを軽んじ、ケンブリッジではなくキューバのレイシズムに目を向け、ハーバード・ヤードの緑地が自分の国だと語る人物だ。私の友人、コーネル・ウェストは、レフトフォーラムで「社会主義者はどこにいる?共産主義者はどこにいる?」と呼びかける私に向かって、「私はキリスト教徒だ!」と叫んだ人物だ。そして、マイケル・エリック・ダイソンは、著書True Dr. King(『本当のキング師』)で、マラブルがマルコムに対して取ったのと似たようなアプローチをとった。

「人種後の米国」の「平等の庭」で、ほかの誰、ほかの何が、ありうるだろう。どうやら、欠点のある思想をもつ欠点のある指導者だと語りたがる学者のために、我々の闘いの真の指導者をやっかい払いにする必要があるらしい。我々には、平等な権利も自決もいらない。アイビーリーグへの就職は、そんなの無しでOKなのだから。

--アミリ・バラカ

©Hideko Otake


0 件のコメント:

コメントを投稿