2011年11月7日月曜日

スポンサー制度は問題! マーティン・ルーサー・キング師の記念碑とキング師を愛する ヒップホップ

ハリケーン・アイリーンの到来で延期されていたマーティン・ルーサー・キング師の記念碑の落成式が1016日に開催され、オバマ大統領や公民権運動の活動家が演説し、スティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンがパフォーマンスを行ない祝賀ムードを盛り上げました。しかし、記念碑を問題視する人もいます。キング師が特に晩年に精魂かたむけた反戦や貧困との闘いの精神がワシントンでまったくいかされていない現在、記念碑はキング師の精神的遺産を葬り政治的に安全な偶像と化す欺瞞だとみるのです。ここでご紹介するのは、企業によるスポンサー制度を軸にキング師とヒップホップのブランド化を批判する「ブラックアジェンダ・ラジオ」のジャレッド・ボール(2001年8月31日に放送)の声です。(訳:大竹秀子)


 どんな運動にもシンボルとアイコンがある。だが、シンボルやアイコンは背景情報と内容から切り離されるとただのブランドになってしまう。 ブランドとは批判的思考を避けてできあいの欲望や想像に基づく記憶、都合の良い態度を見る者に引き起こすために使われるシンボルだ。 企業ヒップホップがキング師を歌うのは、首都ワシントンに建てられたキング師の記念碑への企業のスポンサーシップと同じで、キング師の革命的な意義を消し去り、変革的な内容を切り除き、キング師を我々のではなく彼らのイメージと目的に合わせてブランド化し直すのが目的だ。


 トマス・コナーが書いたワシントンポスト紙の記事はこう語る──黒人史の正真正銘の情報センターであり急進的な政治と文化の表現でもあるヒップホップが、ついにキング師のために場を見つけた。同紙に言わせれば、──今週ついに、「キング師の夢がヒップホップの中に場を得た」。これは前代未聞のことだ。 その昔、ラッパーたちがマルコムXを特別なアイコンにしたように、今日ではキング師がその衣鉢をつぐようになった。── ポスト紙に掲載されたこの記事は、ポピュラー・メディア内でのキング師の名前の復活を[ハリケーン・アイリーンのおかげで]現在延期になっている企業の手によるキング師の記念碑の落成式と結びつけて語ろうとしているが、おそらくもっと重要なのは、記事がこの[ヒップホップシーンの]状況の変化に進歩あるいは成熟の意味をもたせていることだ。 ──かつては敵対的だったこのアートフォームもいまでは40歳を超え、大人の兆しを見せている。 いまでは実利的で思慮に富み、持ち前の急進的な鼻息の荒さを超えて、明るくリベラルな企業の未来にも目を向けることができる──というわけだ。 企業が記念碑から文化の最大の表現にいたるまで何から何までスポンサーになる現在、我々が同意しようがしまいが、今では企業のバージョンが純正としてブランド化される。

 コナーとポスト紙は、一般的なメディアの性質そして特に同紙の性質を考えると、まさにやるべきことをやっている。 すなわち、キング師とヒップホップの両方を大変せせこましいお仕着せの視点にはめこまんでしまう。 キング師の生涯はたった一言にしぼりこまれ、マルコムXとの子供じみた差別化がなされる。ラップミュージックは一握りの企業ラッパーに縮小され、輝かしさは証明されずに終わる。そんなことは求められないからだ。

  いずれの場合も、重要な政治的闘争と文化表現の物語をもう一度語るために利用されるが、その内容ときたらまったくもって不正確だ。 ワシントンポスト紙のゆがんだ目から見れば、キング師は反マルコムXなのであり、マルコムXをよりラディカルな人物と して肩入れしてきたラッパーたちがキング師を作品に取り込むことは、彼らの進歩のしるしであり喜ばしいことなのだ。 この新しい傾向は、ブラックピープルの間で一般的に奨励されている転換──許容されない革命の政治と袂を分かち、より責任ある同化派へと向かう転換──の縮図として表現される。もちろん、これをもっともよく実現した最たる存在は、バラク・オバマだ。 キング師とマルコムXの本当の政治が、実際に論じられ、説明されるかどうかは問題にしない。 これが、ブランドとスポンサーシップだ。 現実とは何の接点もない。

 ワシントンポスト紙は,自分たちがクソまみれなのを先刻承知だ。 まさに自分たちの新聞紙面でキング師の扱いをあっというまに公民権運動の英雄から反資本主義の悪漢に変え、暗殺前にすでに紙面の上で殺しに手を貸したことを知っている。 殺されるまで3ヶ月もない時にワシントンポスト紙はキング師を「レーニン派」と呼んだ。ストークリー・カーマイケルとあまりにも仲が良く最終的には「国家安全保障への脅威」だったからだ。 ポスト紙はまた、キング師の政治あるいは暗殺が意味することが何かをまっとうに論議することを拒否し、彼を英雄の座に再び祭り上げることを繰り返すことにより、毎年,彼をくり返し暗殺し直すという行為に自分たちが参加していることを先刻、承知だ。 だから、同様に業界のスポンサーが付いたラップミュージックが、キング師の「夢」を前より喜んで採用していると称賛される時、それは、ブランドの勝利を示す勝ち鬨の声であり、スポンサーシップの勝利と見るべきだ。

 ポスト紙がキング師に向かって前進していると呼ぶラッパーたちを世に出しているのは、いまキング師の記念碑を建てようとしているのと同じレイシストで戦争屋の企業だ。 使者を無視することは、コミュニケーションが行われている政治的な背景を無視するに等しい。 マーシャル・マクルーハンをひとひねりするなら、スポンサーはメディアであり、従ってメッセージなのだから。 リル・ウェインやコモン、ルーペ・フィアスコが背景を問わずに歌詞の中にキング師の名を散りばめたからって、誰が気にかけるだろう? ジャ・ルールは[ブラックパンサー党の]ジョージ・ジャクソンを歌ったし、ウィズ・カリファはヒューイ・ニュートンという名の曲を作った。 ケイナーンの賛歌は、ソニーとコカコーラに買い上げられると共に、切れ味を失った。 政治的な敵がメッセージのスポンサーに付くと、力は即座に失われる。 もちろん、だからこそ、スポンサーはスポンサーになるわけだ。

 スポンサー制度は問題だ。 あなたの世界観を伝えるものを、よくよく吟味する必要がある。 企業は過激な変革をほしがらないからだ。 彼らは、変化が起きたと主張するラディカリズムをちらつかせたいだけで、変化がまだ必要だという主張を否定する。 企業によるキング師の記念碑や中身がほとんど空っぽな歌詞をもつ音楽を企業がプロモーションするのは、そのためだ。 ついでに言うならば、企業のスポンサーがついたバラク・オバマは、同じようにスポンサー付きの記念碑の除幕式を幸せいっぱいに主催するが、オバマ政権はマーカス・ガーベイへの恩赦を求める最近の要求をとりあげようとはしなかった。ガーベイのイメージは、そうやすやすとは手なづけられない。
ブラック・アジェンダ・ラジオ。ジャレッド・ボールでした。 

©Hideko Otake

訳注
キング師の記念碑の主要スポンサー:ゼネラルモーターズ、トミー・ヒルフィガー企業財団、NBA/WNBA、ウォルト・ディズニー社財団、アルファ・ファイ・アルファ・フラタニティ社、コカコーラ財団、フォードモーター基金、トヨタ、AARP,アフラック、シグナ、デュポン、エクソン/モービル財団、連邦住宅抵当公庫、フェデックス社、GE、ホロウィッツ・ファミリー財団、シーラ・C・ジョンソン、リーマンブラザーズ、ジョージ・ルーカス、マクファーレイン・パートナーズ、J・ウィラード&アリス・C・マリオット財団、マクドナルド社、全米不動産業者業界、全米教育教会、ペプシコ財団、ピュー慈善財団、プルーデンシャルファイナンシャル社、シェル石油社、ステートファーム保険、ヴェライゾン財団、ウォルマート、モアハウス・カレッジほか。





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